1987年に公開されたスピルバーグ監督の映画「太陽の帝国」でその演技が認められ、アジア人では初めて、全米映画俳優協会の最優秀外国人俳優賞を受賞し ました。
出典元:girlschannel.net
ガッツさんは、受賞式の前に極貧地区の孤児院とかジムを訪ねてボクシングの指導をしました。
自分の受賞に対するお礼の気持ちをこめてのことでした。
その少年たちには、麻薬の売人を兄貴がやっているとか、母親がアル中だとか、本人を悪くさせるのに 十分な環境が整っていたのです。
そして、授賞式の挨拶でガッツさんは、そのことに触れるスピーチをしました。
ガッツさんは、英語を流暢に話すことはできません。
当然、カタカナで書かれたカンニングペーパーを見ながらの英語の挨拶でした。
ガッツ石松さんの、額に汗かきながら、しかも拙い英語に、最初のうち、会場は笑い声も起きていまし た。
しかし、ガッツさんの話が進むにつれ、だんだん会場は静まり帰ってきました。
これが、ガッツ石松さんのスピーチです。
「俺はとんでもなく貧乏なうまれで、本当に 彼らと全く変わらない育ちだった。
ただ一つ違うのは、母が俺を信じてくれたこと。
『お前は馬鹿だし、私も貧乏でなにもしてやれない。ただ、お前を信じてやることだけはで きる』っていつも言ってくれていた。
母さんはもう死んでしまったが、母親が子供を信じてくれる・・・
母親でなくても誰かが信じてくれている、それだけで、子供は自分を信じて努力して行ける んだ。
だから、君たちが まけそうになったら、友達や家族を思い出してほしい。
そして友達や家族が負けそうに なっていたら、彼のことを信じて励ましていてほしい。
それだけで、何でも できるようになるんだ。そういうことを彼らに伝えてあげたかった」